ここでは、茶室の歴史と共に考えてみたいと思います。
『藤森照信の茶室学』2012年/六耀社
では、現代の建築史家・建築家である藤森照信は自身が手がけた茶室を、
千利休~近代の建築家を通しながら、史上に位置付けています。
「床の間」にスポットを当てながら、要点を追えば、
利休は、わびの精神を浸透させるため、床を残し、
藤森は、建築の本質的な在り方を問うために、床を廃止した。
引用すれば、
「・・・”日本”という記号性が強く、見た人の思考は”ア床の間、日本だ”で止まり、理解したような気持ちになりやすい。日本で止まらず、極小空間の中にテーマを読み取ってもらうためには床の間は捨てるしかない。・・・」
と述べています。(同様の理由で、畳・障子・竹も不使用)
また、戦後の生産時代には反時代的なものとして、建築家のテーマ(シンボル的な公共施設や、集合住宅)から茶室がこぼれ落ちてしまったことも、その背景にはあります。
一方、建築家堀口捨巳は、失われていく過程に茶室の意味を見出した存在でした。
「機能と表現の一致も、総合芸術としての建築も、よく知られたバウハウスの主張にほかならない。さらに、総合芸術としての建築のためには、絵や彫刻や工芸を取り込む床の間が大事であることを言う」
藤森と堀口の言動から、床の間の必要とされる境界線が見えます。
少し本筋から離れます。本書の中では、茶室の起源に関して「闘茶」という起源を紹介しています。
時は寝殿造から書院造へ変わる頃。前ブログでも、がらんどうの空間から固定的な空間へ移る時代であることを紹介しました。
「闘茶」とはすなわち、きき茶のことです。味を選り分ける人が、持ち前の美術工芸品を競う言わば貴族の遊びのことです。
オークションの陳列のように、美術工芸品が置かれる場所が、次第に床の間というショールームに発展したこと歴史があったそうです。
やはり床の間は芸術空間と表裏一体の関係と言えます。
暮らしの中にアートを飾ること。月並みな切り口から考えることも、次回では試みたいと思います。(前ブログのテーマにあげたパーソナル化については、持ち越し予定です。)